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過去問の模範解答集
2021年度(人を疑う)
“【模範解答】杏林大学 2021年度【人を疑う】” をダウンロード
a586fdc20eeefba3bb0ad470875aaa78-1.pdf – 312 回のダウンロード – 485.03 KBアニメや映画で、相手に疑いの目を持たず、一切の信頼をもって接するワンシーンに心を惹かれたことはないだろうか。ベストセラー漫画『スラムダンク』で、一匹狼の流川楓がライバルの桜木花道を信頼し、シュートを委ねたシーンは人々の心を震わせた。一方で、「儲かる!儲かる!」といった文言だけを看板に掲げ、甘い誘惑をしてくる人に対し、疑いの目を持って接することは肝要であろう。このように、「人を疑う」ことについては賛否両論あるものだが、はたして、医療現場において「人を疑う」ことは大切なのだろうか。
来院する患者の中には、知識量の差から、「医師の方が立場は上だ。言うことを聞こう」と考え、尻込みしてしまう人が一定数いる。また、自身の病気・ケガがあまりにセンシティブな内容であると、医師へ本当のことを伝えるのがためらわれてしまうかもしれない。このように、患者が伝えてくることの中には、本心ではない、言い出せずに隠してしまっているような想いがあるものだ。チーム医療の現場においても、似たことが言える。医療の現場はひっ迫しており、ときに狂気の沙汰で治療・手術に挑んでいることが多い。だからこそ、医師たちは強い疲労感や悩みを抱えていることが多いのだが、「こんなことで根をあげるんじゃない」という自分へのプライドや、「チームに迷惑をかけたくない…」という優しさから、自身の体調・本音を言い出せずにいることもあるだろう。上記2例のように、コミュニケーションの相手方が伝えていることは全てではなく、「その内に秘めた本当の想いがあるかもしれない」と疑ってかかることは重要である。
以上より、医療現場において「人を疑う」ことは、ときに大切になるのではないだろうか。もちろん、対患者であっても、対チーム医療であっても、お互いを信頼しあう関係を構築・維持していくことは重要である。基本は信頼ベースで医療を行いながらも、その人の些細な所作等を汲み取り、適切に対処していくことが望ましい。
(830字)
2021年度(リーダーシップ)
“【模範解答】杏林大学 2021年度【リーダーシップ】” をダウンロード
aa2dad1626fe188f7db46ae5a598c79b.pdf – 218 回のダウンロード – 458.21 KB文科省が先導する大学入試制度改革では、「主体性」「多様性」「協働性」が重要な要素として受験生に求められている。たしかに、I Tの進展などで個の力が大きくなってはきているが、多様の人と協働し大きな物事を成し遂げるため、それらを統率できる主体性あるリーダーシップが渇望されているのは疑い得ないだろう。医療現場でも、チーム医療を牽引できる医師のリーダーシップが求められるだろうが、はたして、医師に求められるリーダーシップとはどういったものであろうか。
医療現場では未曾有の事態が付きものである。例えば、新型コロナウイルス対応を迫られたり、患者の容態が急変したり、救急搬送される患者が前例のない病気・ケガを抱えていたりと、医療現場ではこれまで予想していなかった事態が起こるものだ。このような先行き不透明な事態に直面したとしても、看護師や理学療法士といった他の医療従事者へ対応方針を伝えるため、適切に判断し牽引するリーダーシップが肝要となる。世界的企業マッキンゼー社の社員であった高橋俊介氏によれば、「未曾有の事態であっても、原理・原則に立ち返ることが重要だ」という。先述の新型コロナウイルスであれば、「新型と言ってもウイルスであることには変わりない。ウイルスであれば人間に感染しなければ自滅するのだから、感染予防を徹底すべきだ。」というように、生物学における原理・原則に立ち返るといった具合で判断するのである。
以上より、医師に求められるリーダーシップは、未曾有の事態であっても、原理・原則に立ち返って物事が判断できる力だと私は考える。現代は激動の世を迎え、ITや医療をはじめ多くの学問分野が日々目まぐるしい進歩を遂げている。より一層、先行き不透明な世の中になっているからこそ、医療現場で指揮をとる機会の多い医師には、上記のようなリーダーシップが必要となってくるのではないだろうか。
(786字)
2020年度(不言実行)
「不言実行」とは、今からやるべきことを明確に言葉とすることなく黙々と事を進め、目標等を成し遂げることである。一般的には、「謙虚な姿勢で努力している」とか「精錬された作品を生み出す寡黙な職人のようだ」といった具合に、良い印象を与える言葉として語られることが多いのではないだろうか。では、私たちの目指している医学部の職場、つまり臨床の現場においても「不言実行」の姿勢は採用すべきなのだろうか。
まず、チーム医療における「不言実行」について考えたい。チーム医療において、報告・連絡・相談といった基本的なコミュニケーションをとることなく、各々がやりたい医療行為を行ったらどうであろうか。おそらく、医療行為の重複や漏れが生じ、チーム医療として機能しなくなるのは明らかであろう。次に、患者さんとのやり取りにおける「不言実行」について考えたい。患者さんへ医療行為をする際には、患者さんの抱える想いを引き出したり、いまから行う医療行為について理解と同意を得たりする必要がある。ここで、双方向の対話がない状態で事を進めてしまうと、患者さんの不安を煽るばかりか、ときに命・健康を害しかねない。このように、臨床の現場においてコミュニケーションが活性化されなければ、「患者さんの救命および健康を回復・維持する」という医療の目的を達成できなくなってしまうのだ。
以上より、臨床の現場においては「不言実行」の姿勢は採用すべきでなく、むしろ「有言実行」で事を進めるべきといえよう。もちろん、外科医がよく行う日々の手技訓練や、継続した医学の探求などは、「不言実行」の姿勢で謙虚に挑んでも良いと考える。しかし、患者さんの人生を背負う医師は、患者さんやそのご家族、チーム医療のメンバーとのコミュニケーションを欠かすことなく、密に連携をとり、着実に仕事を進めていくべきであろう。
(782字)
2015年度(表現の自由)
「表現の自由」は、政治的表現や自己実現の表現を自由に行うための重要な権利であり、憲法上でも強い権利として認められている。一方で、近年ではSNSや学校でのいじめにおいて誹謗中傷的な表現が飛び交い、人権の問題として話題になることも多い。はたして、誹謗中傷的な表現は「表現の自由」だからといって認められるべきであろうか。
俳優の三浦春馬氏は、SNS上で同業のスキャンダルをかばう旨の発言をし、ネット界隈で強い非難を浴びた。そして、プロレスラーの木村花氏も、テレビ出演をした『テラスハウス』内での言動が原因で、ネット上で悪質な書き込み等を多く受けていた。両者は、共にネット上での誹謗中傷に悩み苦しみ、最終的には自殺にまで追い込まれてしまった。また、学校でのいじめについて考えてみても、「ばか」「死ね」「消えろ」といった誹謗中傷表現が発端となり、無視や仲間外れ、さらには暴行にまで至ることも多い。これらを苦に感じて、不登校や転校、酷いときには自殺にまで追い詰められてしまうのだ。上の2例のように、誹謗中傷的表現はときに人の健康(心身および社会的に良好な状態)を害しかねない危険な表現形態であるといえよう。
以上より、誹謗中傷的な表現は「表現の自由」に含まれず、認められないと考えるのが自然であろう。しかし、ここで注意したいのは、「相手が傷つくから」との理由だけで、“適切な批難”まで制限をかけないことだ。政治家や大企業の経営者、アイドルといった職業は、常に世間の評価にさらされる立場にあるわけで、「○○の政策(施策)は良くなかった」「○○のダンスは△△した方が良いと思う」といった、“適切な批難”を禁じてはいけないと考える。とはいえ、何が“誹謗中傷”であり、何が“適切な批難”であるかは、個々人によって評価が変わってしまい線引きが難しい。だからこそ、何が“誹謗中傷”にあたり、何が“適切な批難”にあたるのか、会社・学校・地域社会等で議論を活発に進めるべきであろう。
(828字)
2015年度(競争社会)
運動会での徒競走、大学受験や資格試験などといった受験競争、さらには社会人間における出世競争と、現代社会では至るところで競争が繰り広げられている。ときに「競争をするから敗北者(劣った人・貧しい人)が出てしまうのだ」と批判されることもあるが、はたして、競争社会は良いものなのだろうか。
大手受験予備校のデータによれば、難関大学への合格に必要な学習時間はおよそ30 00時間であるが、インプットに要する講義時間は400時間ほどしかないという。言い換えれば、「自ら勉強時間を確保し努力のできる人」が、受験競争を勝ち抜き合格を勝ち取ることができると言える。また、私人間の競争(争い)を規律する民法では、「努力をした人が報われる」よう、ルールが制定されている。例えば、AさんからBさん、AさんからCさんへと二重で土地の売買が起きてしまったとき、「土地は誰のものになるか」といった争いが起きてしまう。民法177条では「登記の先後で決する」と規定されており、換言すれば、登記取得という面倒な作業を行ってでも、自らの物にしようと先に努力した人へ土地の所有を認めている。上に挙げた2例のように、日本では努力をした者が報われるような社会を目指していると言え、怠けものに利を与えないよう仕向けているのだ。
以上より、努力を促し怠けるのを防ぐという点で、競争社会は良いものと言えよう。医学生・医師であっても、成績・評価を受け、仲間としのぎを削って努力し、社会のために向上していく心は必要であると考える。ただし、健全な競争社会を築いていく上で、以下の3点には注意しなければならない。1つ目は、皆が等しく競争に参加できるよう、競争へ参加するための障壁をなくすこと。2つ目は、成績・評価を受けるときは、公正・平等な基準を設けること。3つ目は、競争で大きな傷を負う人を出さない制度・傷を負った人を皆で支えていける制度を整えることである。
(800字)