
拝啓 私は先に天国へと旅立ちます。色々やんちゃしてきた私ですが、最期に国や母さんを守るためこの身を捧げることができるのを喜ばしく感じています。これまでわがままを言って困らせてきた私ですが、最期にもう1つだけわがままを言わせてください。どうか、悲しまず、笑って私を見送ってください。そして、永遠の眠りにつくその日まで、限りある人生を強く生きてください。母さんは他の何にも代えがたい私の宝物です。どうかお身体に気を付けご自愛くださいませ。最大の感謝を込めこの手紙をお送りします。 敬具
上記の手紙を書いた私の気持ちを以下に2点まとめたい。1つ目は、意識が遠のき人として正常な判断ができない悲哀の気持ちである。写真をみると、隊員1人のみでなく8人“全員”が、特攻30分前という切迫した状況にもかかわらず満面の笑みを見せている。通常では考えられない状況となっていることから、覚せい剤が投与され気分が高揚し切っている可能性が高い。そのため、まるで走馬灯のように死期がゆっくりと迫りながらも、「最期を本来の私のまま迎えることができないのか…」と、切なく悲しい思いを感じるのではないだろうか。2つ目は、遺される母を励ましてあげたいという気持ちである。私が「怖い」「辛い」といった消極的な言葉を遺してしまっては、母は立ち上がる余力や気力がないまま絶望の淵に立たされ、自分の殻へと閉じこもってしまうかもしれない。私は30分後に死ぬことが確定しているが、遺される母にはまだ未来があり、少しでもその未来が明るくなるよう孝行ができたらと思う。だからこそ、「喜ばしい」とか「笑って」といった積極的な言葉を遺しこの世を去りたいのだ。
基本的人権が尊重される現代においては、本問の特攻隊戦略に賛同することはできない。しかし、命を賭して戦った彼らからは、人間が作りだす究極の思いやりを感じ、一人間として心から敬意の念を払いたいと感じた。
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